歴史を忘れることは、裏切りを意味する。歴史の改ざんは、過(guò)去の過(guò)ちを繰り返すことにつながる。(文:人民日?qǐng)?bào) 國(guó)紀(jì)平)
第二次世界大戦が終わって61年になるが、日本軍が中國(guó)侵略戦爭(zhēng)で犯した暴力は、時(shí)間が流れても中國(guó)人の記憶から薄れていくわけではない。國(guó)際社會(huì)の良識(shí)ある人々も、あの血に染まった年月のことを忘れることはないだろう。「虐殺を忘れることこそが、新たな虐殺を意味する」という、この言葉の意味を考えれば、靖國(guó)神社の存在、および神社が宣言する間違った歴史観は、日本の軍國(guó)主義の侵略を受けた中國(guó)やその他の被害國(guó)にとって、決して許すことのできないものだ。
周知の通り、19世紀(jì)後半以降、日本はしだいに軍國(guó)主義の道を歩み始め、數(shù)々の侵略戦爭(zhēng)を起こし、參加してきた。その多くが中國(guó)への侵略戦爭(zhēng)だった。100年近くにわたり、日本の軍國(guó)主義の野蠻な侵略によって、長(zhǎng)い歴史を誇る中國(guó)文明は散々に破壊され、これは中華民族にとって莫大な損失となった。特に1937年以降の全面的な中國(guó)侵略戦爭(zhēng)において、日本軍は中國(guó)の軍人?庶民を虐殺し、労働者の強(qiáng)制連行、婦女子への暴行、細(xì)菌兵器、化學(xué)兵器の使用、南京大虐殺など、人間性をまったく失ったとしか言えない殘酷な事件を引き起こし、許されない罪を犯した。中國(guó)の國(guó)土にはまだ莫大な量の化學(xué)兵器が埋まっている。完全な統(tǒng)計(jì)ではないが、第二次大戦期間、中國(guó)の軍人と庶民あわせて3500萬(wàn)人以上が戦死した。1937年のレートで換算すると、直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上となる。第二次大戦勝利後、極東國(guó)際軍事裁判および、中國(guó)、ソ連などの國(guó)家軍事裁判で、日本人戦犯に対する裁判が行われ、侵略戦爭(zhēng)を開(kāi)始し、各國(guó)の人々の地で染まった犯罪者は相応の処分を受けた。この裁判は國(guó)際正義を広め、人類(lèi)の尊厳を守り、世界中の平和と正義を愛(ài)する人々の願(yuàn)いを體現(xiàn)した。これは歴史の審判であり、この正しい審判に挑戦しようといういかなる企ても、人々の心をつかむことはできない。
日本のかつての軍國(guó)主義は、中國(guó)に計(jì)り知れないほどの大災(zāi)難をもたらしたが、中國(guó)政府と人民は博愛(ài)の精神と善意をもって、過(guò)去の過(guò)ちにこだわらず、憎しみを水に流して、日本に対し義理を盡くしてきた。まず、200萬(wàn)人以上の日本人戦爭(zhēng)捕虜とその家族の日本への帰國(guó)。それから中國(guó)に監(jiān)禁されていた戦犯を釈放し、日本に対する賠償金の請(qǐng)求を放棄した。事実からも明らかであるように、中國(guó)は日本に対していつも寛容で公明に接してきた。このことは、全世界からも稱(chēng)賛を受けている。
中國(guó)が日本に期待しているのは、歴史事実を正視するということだけだ。改ざんしたものでなく真実の歴史を、穴があいたものでなく完全な歴史を、うそ偽りのない、誠(chéng)実な態(tài)度で日本國(guó)民に教えるということだ。また子々孫々にまで忘れ去られることなく歴史の教訓(xùn)を伝え、この基礎(chǔ)の上に中日両國(guó)の平和と友好的がいつまでも続くことを願(yuàn)っている。中國(guó)の義理にあふれた行いに、當(dāng)時(shí)の田中角栄首相と日本の多くの國(guó)民は感動(dòng)した。田中首相が周恩來(lái)総理に送った言葉、「信為萬(wàn)事之本(信は萬(wàn)事の本)」。この日本の格言は、日本が戦爭(zhēng)の罪を反省しようという決心と勇気を表している。中日の國(guó)交回復(fù)後、両國(guó)間にはたびたび摩擦があったが、両國(guó)間の関係は基本的によい方向へ発展してきた。
中日関係が新たな段階にさしかかった21世紀(jì)、思いもよらないことに、日本の小泉首相は毎年の靖國(guó)神社參拝という行いで、中國(guó)人民の感情を傷つけ続けた。これは中日関係の発展の障害となり、両國(guó)間に暗い影を落とした。さらに不思議なことは、國(guó)際世論の批判を受けながらも、問(wèn)題を起こした當(dāng)本人がまるで罪のないような顔をしていることだ。そのうえ、「私も中日友好論者だ。中國(guó)が首脳會(huì)談を拒否したのだ」と言ったりしている。このような現(xiàn)行は、中國(guó)で受け入れがたいだけでなく、日本の多くの政治家と國(guó)民、および各國(guó)の政界から厳しい批判を浴びて當(dāng)然だといえる。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2006年8月16日