戦後60年の8月に當(dāng)たって、「歴史を忘れず 未來(lái)を拓く」というテーマで國(guó)際シンポジウムが開(kāi)催されるのは、まことに意義深いことであります。暑い中、さまざまな準(zhǔn)備をしてこられた皆様方に、敬意を表します。
私は、王毅大使のお話を伺い、専門家の諸先生方の研究成果をお聞きすることを楽しみにしておりましたが、出席することができず、たいへん殘念に思います。
悲慘な戦爭(zhēng)の時(shí)代を體験し、この60年間、平和のために一生懸命活動(dòng)してきた者として、若干の思いを述べさせていただきます。
今年は戦後60年であるとともに、日露戦爭(zhēng)100年でもあります。
日露戦爭(zhēng)は、日本とロシア二國(guó)間だけの問(wèn)題ではなく、イギリスやアメリカなどもからんだ國(guó)際的な紛爭(zhēng)でした。當(dāng)時(shí)は、戦爭(zhēng)に反対する聲は極めて少數(shù)であり大衆(zhòng)的な運(yùn)動(dòng)はなく、開(kāi)戦を防止するための多國(guó)間の話し合いも持たれませんでした。そして、戦場(chǎng)となったのは、日本の地でもロシアの地でもありません。それは他國(guó)である中國(guó)東北部と朝鮮半島と、その周辺海域であったことを忘れてはなりません。
勝利におごった日本は、植民地支配と侵略へと突き進(jìn)み、太平洋の島々を含む広範(fàn)なアジア近隣諸國(guó)の人々を戦爭(zhēng)の慘禍に巻き込んでしまいました。そして、真実を知らされなかった日本國(guó)民にも、過(guò)酷な運(yùn)命が待ち受けていました。
広島や長(zhǎng)崎に原爆が投下されてから60年が経ちましたが、今なお後遺癥に苦しんでいる人が多くいます。また、毒ガスを使用した化學(xué)兵器がきちんと処理されないまま放置されたことによる被害も、國(guó)の內(nèi)外で起こっています。戦爭(zhēng)の慘禍は長(zhǎng)く人々を苦しめるということを、改めて心に刻まなければなりません。
私は、戦後50年に當(dāng)たる1995年8月15日に、內(nèi)閣総理大臣として談話を発表しました。それは、日本の歩みを振り返り、これから私たちが進(jìn)むべき方向を示そうとしたものであります。
改めて、その一部を述べてみます。
「いま、戦後50周年の節(jié)目に當(dāng)たり、われわれが銘記すべきことは、來(lái)し方を訪ねて歴史の教訓(xùn)に學(xué)び、未來(lái)を望んで、人類社會(huì)の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが國(guó)は、遠(yuǎn)くない過(guò)去の一時(shí)期、國(guó)策を誤り、戦爭(zhēng)への道を歩んで國(guó)民を存亡の危機(jī)に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの國(guó)々、とりわけアジア諸國(guó)の人々に対して多大の損害と苦痛を與えました。私は、未來(lái)に誤ち無(wú)からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虛に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした?jī)?nèi)外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の非から50周年を迎えた今日、わが國(guó)は、深い反省に立ち、獨(dú)善的なナショナリズムを排し、責(zé)任ある國(guó)際社會(huì)の一員として國(guó)際協(xié)調(diào)を促進(jìn)し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。」
この総理談話が出てから、ちょうど10年となります。その後の、歴代の日本政府はこの方針を継承しています。しかし、言葉は行動(dòng)で示され、なおかつ相手の心に屆くことが大切であります。この點(diǎn)、日本政府は、もっと自覚して努力しなければなりません。
特に、度重なる小泉総理の靖國(guó)神社公式參拝は、近隣諸國(guó)の人々の気持ちを傷つけるものとして、中止すべきだと考える人が次第に増えてきました。私も総理の靖國(guó)神社公式參拝は、きわめて憂慮しております。小泉総理には、近隣諸國(guó)との関係をもっと真剣に考えてほしいと思っています。
また総理談話では、特に近現(xiàn)代における日本と近隣アジア諸國(guó)との関係にかかわる歴史研究を支援することを提案しました。そして、今日、アジア歴史資料センターが設(shè)立され、広く資料を収集、保存し、インターネットでも公開(kāi)するようになっています。
私は、このような活動(dòng)は地味ではあっても歴史を共同で研究し歴史を共有することは、お互いに理解を深めるためには、きわめて重要なものだと思います。21世紀(jì)は多民族、多文化が共生する社會(huì)を作り上げていかなければなりません。そのためにアジア歴史資料センターのような施設(shè)が、多くの人々、とくに若い人たちによって、利用されていくことを期待しています。
20世紀(jì)の教訓(xùn)として、戒めるべきことは、國(guó)民國(guó)家の利益にとらわれて、偏狹なナショナリズムをあおることが、いかに危険なものかということです。歴史の事実をねじ曲げて、自分の國(guó)だけが正しくて、他の國(guó)は間違っているとか、自分だけが優(yōu)れていて、他の國(guó)民は劣っているとかいうような考え方は、結(jié)局自分に跳ね返ってくるものなのです。このようなことは、決して許されません。
相互の立場(chǎng)を理解しあい、歴史と文化を尊重しあうことから、新しいものが生まれてきます。各分野での指導(dǎo)的な役割を擔(dān)う人は、とくにこのことを自覚しなければならないでしょう。
交通、通信がますます発展して、人々の往來(lái)がますます盛んになってきた今日、こうした努力を積み重ねることによって、私たちは広い視野で物事を見(jiàn)ることができるようになります。そして、20世紀(jì)の負(fù)の遺産を真に克服することができるのではないでしょうか。
ヨーロッパでは、長(zhǎng)いこと國(guó)家間の対立抗?fàn)帳Aき、二度の世界大戦という悲劇が起きました。その反省から、ヨーロッパ共同體が生まれ、今日ヨーロッパ連合(EU)にまで発展してきました。かつては夢(mèng)物語(yǔ)と思われたことが実現(xiàn)したのです。
同じように東アジア地域でも、発展する経済関係を背景して、これまでの対立を乗り越えて共同體をめざそうということが唱えられるようになりました。そのなかで、日本と中國(guó)の関係はことのほか重要であり、東アジア共同體の形成のためには、両國(guó)の協(xié)力が絶対に必要です。この遠(yuǎn)大な目標(biāo)を見(jiàn)據(jù)えて、ともに力を合わせていきましょう。
本日の國(guó)際シンポジウムが、參加されたすべての皆様方にとって、有意義な機(jī)會(huì)となることを祈念いたしまして、私のメッセージといたします。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年8月23日