今年は抗日戦爭(zhēng)勝利60周年にあたるが、中國(guó)人民の抗日運(yùn)動(dòng)が世界反ファシスト戦爭(zhēng)に果たした貢獻(xiàn)に対し、ルーズベルト、チャーチル、スターリンという第二次世界大戦中の三人の指導(dǎo)者が、ともに高い評(píng)価を與えている。
ルーズベルトはかつてこのように述べた。「もし中國(guó)がなければ、もし中國(guó)が叩き潰されれば、どれだけの師団の日本兵がその他の方面の作戦に回されるだろうか。彼らは直ちにオーストラリアを攻撃し、インドを攻撃するだろう……。」
日本歴史學(xué)者の藤原彰氏は著書(shū)『日本近現(xiàn)代史』の中で、「対英米開(kāi)戦後も、日本陸軍の主戦場(chǎng)は客観的には中國(guó)大陸にあった」と書(shū)いている。
1940年に、ヒトラーが西ヨーロッパを席巻した際、日本も東アジア、東南アジア、南太平洋の國(guó)々を含む「大東亜共栄圏」計(jì)畫(huà)をまとめ、ドイツ?イタリアと三國(guó)同盟を結(jié)成し、「南進(jìn)」準(zhǔn)備に積極的に取り組んだ。しかしながら、日本陸軍は十分な兵力を編成して海軍に歩調(diào)を合わせることができず、太平洋戦場(chǎng)の友軍は最も困難な時(shí)期を過(guò)ごした。軍事科學(xué)院の著名な軍事史専門(mén)家である彭訓(xùn)厚曰く、中國(guó)軍は1939年冬から冬季攻勢(shì)を行い、多數(shù)の日本軍を殺傷し、日本軍に「南進(jìn)」に向けた兵力再編をさせなかったばかりか、反対に二個(gè)師団を中國(guó)戦場(chǎng)へ追加派遣させた。日本軍どドイツ軍がインド洋で合流し、イギリス?ソ連を壊滅させて、世界を支配下に置くという目的はこのようにして打ち砕かれた。
以上のことから、ルーズベルトは「もし中國(guó)がなければ……彼らは一気に中東へ進(jìn)撃し、ドイツと歩調(diào)を合わせ、大規(guī)模な挾み撃ちを行うだろう。近東で合流し、ロシアを完全に隔離し、エジプトを併呑し、地中海の一切の輸送線を遮斷するだろう」と述べたのである。
抗日戦爭(zhēng)末期になっても、日本陸軍の6割以上が中國(guó)の戦場(chǎng)に足止めされていた。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2005年8月5日