「東京裁判を否定するのは、単に1つの審判を否定することではなく、日本が発動した侵略戦爭の歴史を否定するものだ」――。
東京裁判を否定する日本の政治家の言論に対し、北京?中國人民抗日戦爭記念館研究部の唐暁輝主任、天津?南開大學日本研究院の宋志勇助教授はこのほど、それぞれ新華社のインタビューに対し、東京裁判の正義や合法性は否定されてはならないとの考えを示した。
東京裁判とは、第2次世界大戦後の反ファシズム同盟國が、侵略戦爭の計畫?準備?発動?実施において重要な役割を果たした日本政府の主な責任者に対して行った、國際軍事裁判だ。
「人類文明を破壊した戦犯への審問や制裁を國際社會が法律的な手段により行うのは、人類史上の壯挙だ」と唐主任は語る。東京裁判は日本の軍國主義が発動した侵略戦爭の性質(zhì)を認定し、戦犯の戦爭責任を追及し、判決を下したものであり、國際條約や國際法のルールに合致し、世界各國やその人民の利益に合致し、人類の平和?正義への追求にも合致しているとの考えだ。
唐主任によると、東京裁判は法廷憲章の起草?公布から、法廷の構(gòu)成、戦犯への審判、日本軍國主義による侵略戦爭の性質(zhì)認定、主要戦犯への処罰に至るまで、すべて反論できない法的な根拠がある。東京裁判の2年7カ月の審理の中で、連合國側(cè)は決して、戦勝國としての態(tài)度で、戦爭犯罪に対する主観な獨斷による判決を下したわけではない。國際法を根拠に、大量の証人や物証を基に、戦犯に十分な自己弁論の機會を與えた上で行った法律的判決だ。「この點はすでに世界が公認している」と唐主任は指摘する。
東京裁判は法律的な視點から日本の発動した中國、東南アジア、米英に対する戦爭の侵略性、非正義性を認定しただけではなく、日本の主要戦犯への審判を通して、日本軍國主義者による戦爭という暴力行為、特に14年間の中國侵略で行った犯罪行為を明らかにした。宋教授によると、法廷上では、戦時中に日本が厳しく情報を封じていた「南京大虐殺」などの恐ろしい戦爭犯罪も明らかになり、審判の有力な証拠となり、歴史研究に貴重な資料を提供した。
宋教授は「政治的な角度から見て、東京裁判はニュルンベルク裁判と同じく、侵略戦爭の抑止、正義の力の保護、世界平和の提唱、戦爭以外の方法による爭いの解決促進にとって、重要な政治的意義がある」と指摘。東京裁判は全世界に向かって、侵略戦爭の計畫?発動は國際法に違反する犯罪行為であり、戦爭という犯罪に參加した人間は侵略戦爭の責任を負わなければならないことを宣言したものだとしている。
専門家らは、東京裁判は厳粛な正義の審判であり、戦爭犯罪者を処罰し、國際法の尊厳を守り、人類平和という事業(yè)の発展に重要な貢獻を果たしたもので、畫期的な意義があるとの考えを示している。 しかし一方で、歴史的條件という制約から、東京裁判には不足點もあったとの指摘もある。その1つとして、審判が竜頭蛇尾に終わり、多くの政治的な問題を殘したことだ。戦後の國際情勢や米國の極東政策の変化により、東京裁判はA級戦犯28人に対する審理と判決を行っただけで、すでに逮捕されていた重要な被告90人らは次々と釈放された。これにより、侵略戦爭の計畫?発動に主要、または重要な責任を持つ戦爭犯罪の被告が再び社會に戻り、日本の政治の中で引き続き重要な地位を占め、重要な影響を発揮した。2つ目として、日本の天皇の戦爭責任を追及しなかったことがある。この結(jié)果、日本の一部政治勢力?民衆(zhòng)が戦爭に対する深い反省や懺悔(ざんげ)を拒否し、政治の面での長期的な右傾化を招いた。
宋教授は、東京裁判に対する日本政府や日本社會の見方や態(tài)度は、日本の政治的方向や歴史観を反映していると考える。東京裁判が終了した1970年代、日本國內(nèi)には東京裁判を否定する言論はあったものの、発展することはなかった。1980年代以後、日本政府が戦後政治への「総決算」を求めるに伴い、東京裁判を否定する思潮が頭をもたげ、社會でもある程度賛同されるようになった。1990年代以降、政治大國を目指す日本は、東京裁判の結(jié)果が日本の「政治大國」としてのイメージを損なうと考え、これまでに増して激しく東京裁判を攻撃するようになり、東京裁判を否定する思潮が政治、思想、學術(shù)、教育、文化の各分野に広がった。
専門家は、東京裁判を否定し、侵略戦爭の判決を覆そうとする日本國內(nèi)の思潮は、すでに劣悪な影響を生んでおり、今後の日本の政治的方向やアジア太平洋地區(qū)の平和と安定に対し、マイナス影響を與えることになるとみている。唐主任は「東京審判の否定を企図する日本の右翼勢力の逆流は無視できないもので、中國を含むすべてのアジア諸國が重視すべきだ」と述べる。
「人民網(wǎng)日本語版」2005年5月29日